まんちゅうの語学ブログ

語学学習や気になる話題について綴ります。

語源でひもとく西洋思想史 渡部昇一

10月末は有給休暇の消化のため、漫ろに過ごしていた。

フランス語や韓国語など再開しようとも思ったが、溜まっていたゴリゴリ活字の本が読みたい気持ちが勝ってしまったため、本棚にある本を渉猟することとなった。

 

TwitterのSpace機能(Clubhouseのような複数人でトークができる)を使って『語源についてひたすら語る会』を開催し始めたのは今年の夏ごろだったと思う。5,6人のリスナーに集まってもらい、英語の語源やよもやま話を延々と話し続けるという趣味丸出しの会であったが非常に楽しかった。

 

先日久々に新たなネタを仕込んで『語源スペース』を開催した。

2017年にこの世を去った渡部昇一氏の著書を種本ベースにしてお話をさせていただいた。この本は語源というキーワードに反射して購入したものだが、内容はやはり博学者の渡部氏、浩瀚な蔵書から得られた知見に裏付けされた考察に溢れている。王と皇帝、税、神秘、運命、などテーマ毎に西洋思想を紐解いていくその筆致は、語源の知識というちょっとした面白話が得られると同時に、同時代の人々がどのように言葉というフィルターを通じて世界を捉えたいたのか、その一端を垣間見ることが出来る。

 

語源というと気を付けなければいけないのが「民間語説」だ。かつて、beliefという言葉の起源を、be+lief(葉っぱ)と思っていたことがあった。古代人の思考習慣として木々やその枝葉に神秘的、超自然的な存在が宿るという考えはしっくり来るぞ、と私は考えた。差し詰めその解釈で困る、ということもないため、しばらくは語源を調べることもなく(というよりかどこかでその語釈を見たはずだった)、過ごしていた。

ところが、あるとき、ふとbelieveの語源を調べてみる機会があった。すると、このlieveとは、leave(Proto-Germanic *galaubô. More at ġelīefan (to believe).)とあるのではないか。ドイツ語のGlaube「信じること」と同語源である。要するに信じるの語源は、「信じる」という意味のゲルマン祖語である。

geleafa - Wiktionary

 

これはやられた、と(勝手に)思った。民間語説や勘違いはこうやって広まっていくのだろうと思った。「確信を持って物事を理解した」と感じたとき、裏付けをしないと大抵の場合勘違いに終わる。こうした裏付けのない語説を紹介する場合、やはり「あくまで俗説」「裏付けは出来ていない」という点を説明する他ない。

知的誠実さ(intellectual honesty)という言葉が好きだ。理解や解釈、知識の出処に怪しい部分があれば包み隠さずそれを伝える。私の身の回りには、こうした誠実さと知性を兼ね備えた大人物が多い。おかげで、知識を披露する場面にあたって見栄や虚勢を張る必要がない。分からないことがあれば教えを乞う、私が知っていることを相手が知らなければ惜しげもなく共有する。なるほど!と膝を打つを瞬間の悦びが、私の原動力だ。こうした知の循環作用みたいなものによって知的好奇心は深まり、相互に賢くなれる、この感覚を失わないようにしたい。

 

午後から久々の授業が始まる。思うままに書き綴る行為は、内省を促してくれる。高尚な響きがすると恐縮だが、書評のような形で今後も日々の中で得られた面白い知識を少しでも共有していきたいなと思う。